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今回の実例、麻生睦美さん(68・仮名)のお話を記す前に、まずはお伝えさせていただく。
私はかつて、訪問看護ステーションの理学療法士という立場で、
麻生さんの筋力トレーニング等のリハビリテーション(以下、リハビリ)を担当させていただいていた。
後述するが、麻生さんは、介護保険サービスを自ら卒業した。
ケアマネジャーがたてた目標に向かって、看護師、介護士、理学療法士がチームとなって麻生さんに関わった日々は、たしかに腰痛の症状があった一定期間には有効だったが、
しかし、しばらく経つと、麻生さんの「主体的に取り組みたい!」 「もっと変わりたい!」という気持ちは、介護保険サービスの範疇を超えた。
そして麻生さんは、RIZAPの門を叩き、夢に向かってコミットすることを選んだのだった。
※参考:麻生さんが実際に利用した民間トレーニングジム
ライザップなら2ヵ月で理想のカラダへ。注: 個人が特定できないように、年齢と疾患名、地名を一部変えています
麻生睦美さん(当時66)は、毎週の亡き父のお墓参りを欠かさない。
東京都港区青山の、穏やかな住宅地にある広々とした低層マンションの自宅から青山霊園までは、出来るだけ歩くようにしている。
転んで骨折する前は、10分そこそこで歩けてたのに、今は、必死に歩いても18分はかかる。
階段は、とくに下りがこわい。強めに手すりを握らなくてはいけない。
足の指は浮き上がり、NIKEのスニーカーの足の甲の部分は、すぐに親指の跡がつく。
バランスが悪いからこうなったのか?痺れで足指が浮き上がるようになったからバランスが悪いのか?
どっちなんだろう。とにかく、一生懸命足を運んでも、スーッとは前に進まない。
麻生さんは1年前、腰椎圧迫骨折で手術をしてから、歩くのが大変になった。
5年前、父が経営していた会社の跡を引き継いで間もなく、麻生さんは更年期障害に悩まされることとなった。
工務店や運送業を営んでいる男の現場を急に束ねることになって、気負っていたのもあっただろう。
多量の汗をかいたり、突然気持ちが高ぶって涙があふれたりする。
朝は布団から出れず、夜は疲れているのに眠れない。
父の古くからの知り合いの医師に、睡眠導入剤を処方してもらった。
最初は眠れたが、すぐにあまり効いている感じがしなくなった。
段々と自分なりに薬を調整するようになり、夜中目覚めたら追加で一錠飲むようになっていった。
そしてある日、ベッドから立ち上がった直後、ふわっと視界が回った。
気づいた時には腰から床に叩きつけられ倒れていた。
救急車でたまたま運ばれた総合病院に入院になった麻生さんは、腰椎圧迫骨折のための加療と、当面の休養が必要となった。
本当に体調が悪い人は、入院中に時間を持て余すことは無い。
あっという間に時が経つ。
麻生さんも入院中の前半のことはあまり覚えていないことが多いという。
手術した後、まだ動けない時期から、ベッドの上でリハビリがはじまった。
ほどなくして歩行のリハビリも始まって、リハビリ、薬、点滴、リハビリ、またリハビリ……そういう毎日だった。
これが父が亡くなって、初めての休暇となった。
3週間が経って、だんだん窓から眺める外の景色が愛おしくなってきたころ、退院の予定が決まった。
病院の相談員さんの素晴らしい手際の良さにより、気づいたら介護保険サービスの手配は終わっていたようだった。
麻生さんは、ケアマネジャーの計画のもと、月一回の看護師のアセスメント(評価)、ヘルパー(介護士)の家事援助、理学療法士のリハビリを自宅で利用することになった。
当初、そんなに沢山うちにくるの!?と驚いたのが『担当者会議』という打ち合わせである。
関わるスタッフは全員、まるで実家に帰ってきたかのように慣れた様子で各々に座り込んで、それぞれの役割を確認し合っていた。
これまで麻生さんの自宅に訪れる人といえば、紅茶を楽しみながら近況を確かめ合う友人たちであったり、経営について真面目に議論する会社のスタッフなどだったものだから、
なんだか、自分の部屋じゃないみたいだな、なんてぼんやり考えていた。
そうこうしているうちに、今後の目標と手段を確認し合う担当者会議は、無駄なくお開きとなった。
内容は、『転倒しない』『外出を安全に出来るようになる』みたいな、
どれもが生活するにあたって当然過ぎる目標ばかりであった。
あっという間に1年が経過した。
腰痛は幸いなことにすっかり無くなり、少し足の先が痺れてふらふらするのが気になるくらいで、麻生さんの症状は概ね治っていた。
会社は幸い妹婿が手伝ってくれることになって、以前よりも楽になった。
気になっていた美容の通院も再開し、ハワイに居る娘一家のところに行ったり、父のお墓参りにも毎週歩いて行けるようになった。
それでも、なんとなくヘルパーと訪問リハビリは継続していた。
万が一風呂掃除とかで痛みが再発したら困るし、 台所に立っていると疲れて腰に悪い気がするし……
リハビリ担当者ともすっかり馴染みになっているし、どんなに仕事が忙しくても毎回施術やストレッチングでクールダウンしてくれると調子が良いから。
しかし、夏の終わりのある日、麻生さんは介護保険サービスを継続していくことに不安がよぎったのだった。
まずは午前中のこと。
家事のヘルパーが、研修のため、とのことで同行スタッフを連れてきた。
そして、こう言った。
「何人かで手順を共有させていただきます。そうすれば、これからもずっと安心して、麻生さんのお手伝いができると考えています」
‟これからもずっと”
その言葉が麻生さんの耳に残って離れなかった。
私は、誰かの手を借りなければこれから永遠に生きていけないのか…?
退院してから、自分でやらなければいけないことを本気で考えたことはあったのか?
そして、その日の午後。
今度はリハビリのために理学療法士が来た。
その日はたまたま、サービス料の領収証を渡される日だった。
いつもは介護保険サービスの領収書なんてさらっとしか見ないのだが、
今日はなんだか、さっきの午前中のヘルパーの発言から、自分が利用しているサービスの存在が急に異質なものに感じていたので、
理学療法士に、どういう料金の計算方法なのか質問してみた。
すると、理学療法士はサービスの単位などの説明の後に、何気なくこういう話を付け加えた。
『…ここ(東京23区)は一級地なので20%の上乗せ割合です。麻生さんの負担割合は3割なので、1回60分の9030円の3割なので、えーと2700円くらいですね。……ええ、長年続けているとトータルのサービス料は結構高いです。はい、実は先日も介護保険の訪問リハビリを4年間続けていた方が、もう総額100万以上になっている、という計算をしてショックを受けていらっしゃいました。本当は、3か月~半年くらいで、すっぱり卒業できるように集中して取り組めればいいと思うんですけどね』
麻生さんは、自分の身体の奥から、なにか熱いものがこみあげてくるのを感じたという。
「自分の身体づくりを、もっと主体的に取り組みたい!」
「もっと変わりたい!」
それから、介護保険サービスを一気に卒業する決心をするまで1時間もかからなかったそうだ。
あの日の理学療法士である私に、介護保険サービスを完全に卒業した麻生さんのその後の噂が、一度だけ入ってきたことがある。
麻生さんは見違えるほど心身ともに元気になった。RIZAPを利用したらしい。ついに定期通院も卒業した。
という話だった。
私は、麻生さんを思い出すたびにいまも、人知れず落ち込んでいる。
理学療法士として麻生さんに提供したサービス内容は、途中から着地点を見失っていた。
麻生さんの立場になって麻生さんの人生を見据えたものとは言えなかった。
それに比べ、
RIZAPが麻生さんに贈ったトレーニングメソッドは、麻生さん自身にコミットしたものだったようだ。