働きたい気持ちは消えなかった|脳卒中後に仕事復帰を果たした44歳男性の実例

脳卒中のあと、多くの方がまず目標にするのは「歩けるようになること」そして、「在宅復帰」です。

立ち上がる。

歩く。

着替える。

トイレへ行く。

出来るだけ家事をする。

こうした日常の動作ができるようになることは、生活を取り戻すための大切な一歩です。

しかし、現役世代の方にとっては、その先にもう一つ大きな目標があります。

それが、仕事への復帰です。

今回ご紹介する清水仁さん(仮名・発症当時44歳)も、その一人でした。

脳出血によって左半身の麻痺や高次脳機能障害が残りました。👇詳細は前回の記事をご参照ください。

それでも清水さんの中には、

「話したい」

「動きたい」

「働きたい」

という気持ちが残っていました。

突然の脳出血で生活が一変した

清水さんはある日、脳出血(右被殻)を発症しました。

発症後は、

・左片麻痺
・重度感覚障害
・半側空間無視
・注意障害

がみられました。

半側空間無視とは、身体や周囲の片側に気づきにくくなる症状です。清水さんの場合は、左側への注意が向きにくい状態がありました。

また、感覚障害もありました。感覚障害とは、手足の位置や、どのくらい体重がかかっているかを感じ取りにくくなる状態です。

発症当初は車椅子中心の生活でした。

以前と同じように生活することも、仕事へ戻ることも、簡単ではないように見えました。

しかし回復期リハビリ病棟での訓練が始まると、少しずつ状況は変わっていきました。

身体が回復しても仕事復帰は簡単ではなかった

リハビリによって、立ち上がり、移乗、歩行、トイレ動作などの能力は改善していきました。

歩行練習も進み、身体機能だけを見ると回復は進んでいました。

しかし、仕事復帰を考えたときには、別の課題がありました。

それが高次脳機能障害です。

高次脳機能障害とは、記憶、注意、判断、計画など、脳の働きに影響が出る状態です。

清水さんの場合、

・注意を向け続けること
・周囲を確認すること
・左側に気づくこと
・複数のことを同時に行うこと

に難しさが残っていました。

日常生活では工夫すれば対応できる場面でも、仕事では求められる内容が変わります。

確認作業。

周囲との連携。

時間に合わせた行動。

突発的な状況判断。

こうした力が必要になるかもしれないのです。

清水さんからは、お仕事内容を聴取してはいましたが、歩けるようになって通勤可能となったことだけで、すぐに仕事復帰できるとは判断できませんでした。

「話したい・動きたい・働きたい」

清水さんのリハビリ記録の中で印象的だったのは、ご本人の希望でした。

「話したい」

「動きたい」

「働きたい」

この言葉には、身体機能の回復だけではなく、もう一度社会の中で役割を持ちたいという思いが含まれていたように感じます。

ご家族も回復への期待を持ちながら見守っていました。

リハビリでは、歩行練習や麻痺側への荷重練習だけでなく、実生活でどう行動するかも重視されました。

外泊訓練も繰り返し行われました。

病院の中ではできることでも、自宅や地域ではうまくいかないことがあります。

だからこそ、実際の生活の中で試しながら、できることと難しいことを確認していきました。

実際に清水さんは、退院前に何度も自宅へ外泊しました。

その中で見えてきたのは、「歩けること」と「生活できること」は必ずしも同じではないという現実でした。

例えば、自宅内の移動はできても、注意障害の影響で複数の作業を同時に行うと混乱しやすい場面がありました。

また、左側への注意が向きにくいため、外出時には周囲の確認に時間がかかることもありました。

こうした課題を一つずつ整理し、ご本人とご家族が対策を考えながら生活範囲を広げていったことが、その後の復職準備にもつながっていきました。

清水さんの勤務先の人事担当者から聞かれた一言

清水さんの復職を考える中で、印象的な出来事がありました。

勤務先の人事担当者から、リハビリ担当者へ問い合わせがあったのです。

そこで聞かれたのは、

「元通り働けますか?」

ではありませんでした。

「何をやってもらうかを検討したいので、逆に、何をどれくらいできますか?」

という質問でした。

この言葉は、目標の立て方自体を覆すような、大きな問いでした。

医療やリハビリの現場では、まず患者さんの希望を聞きます。

何をしたいのか。

どこへ戻りたいのか。

どんな生活を取り戻したいのか。

そこへ近づける、あるいは代替手段を提案するために、リハビリを組み立てていきます。

一方で、清水さんの勤務先が知りたかったのは、

「今、何ができるのか」

でした。

どの作業なら任せられるのか。

どの環境なら安全に働けるのか。

どのような配慮が必要なのか。

この視点は、医療側とは少し違っていました。

しかしよく考えると、これは在宅生活の支援と同じでした。

お風呂に入れないとき、

「なぜ入れないのか」

を確認し、

「どの方法なら入れるのか」

を考えます。

家事が難しいとき、

「何ができないのか」

だけではなく、

「何ならできるのか」

を整理します。

仕事も同じでした。

復職支援とは、元通り働けるかどうかを判定するだけではありません。

今できることを整理し、職場と共有し、働き方を組み直していく作業でもありました。

そこでリハビリ担当者は、清水さんができることを具体的に整理しました。

短時間であれば集中して作業できること。

決められた手順に沿った業務は比較的安定して行えること。

一方で、複数の業務を同時進行することや、急な予定変更への対応には支援が必要なこと。

こうした情報を職場と共有したことで、「復職できるかどうか」ではなく、「どのような形なら働けるか」という建設的な話し合いが進んでいきました。

復職もまた生活の再構築の延長線上だった

脳卒中後の復職では、

「以前と同じ仕事を、以前と同じ量で、以前と同じ速さでできるか」

に目が向きやすくなります。

しかし、それだけを基準にすると、復職の可能性は狭くなってしまいます。

大切なのは、

今できること

配慮があればできること

今は避けた方がよいこと

を整理することです。

清水さんの場合も、身体機能だけでなく、高次脳機能障害の影響を踏まえて考える必要がありました。

例えば、

・長時間の集中はどの程度可能か
・空間や視覚の見落とし易さは防げないのか
・確認作業をどのように行うか
・疲労でミスが増えないか
・周囲の声かけが必要か1人で任せるほうがやり易いか

といった点です。

これは、入浴や家事の再獲得とよく似ています。

「できない」と決めるのではなく、

「どうすればできるか」

「どこまでなら安全にできるか」

を具体的にしていく。

それが仕事の再構築でした。

障害者雇用という選択肢

清水さんは、その後、障害者雇用という形で仕事復帰を実現しました。

障害者雇用とは、障害の特性に配慮を受けながら働く制度です。

仕事内容、勤務時間、支援体制などを職場と相談しながら調整できます。

脳卒中後の復職では、

「以前の自分にどれだけ戻れたか」

だけで考えると苦しくなることがあります。

以前とは違う身体。

以前とは違う注意力。

以前とは違う疲れやすさ。

それらを無視して働こうとすると、本人にも職場にも負担が大きくなる場合があります。

だからこそ、

「今の自分でどのように働けるか」

を職場と共有することが大切になります。

仕事復帰はゴールではなかった

仕事へ戻ることは、大きな目標の一つです。

清水さんの場合も、職場側が「何ができますか」と問いかけてくれたことで、復職に向けた話し合いが具体的になっていきました。

しかし清水さんの歩みは、そこで終わりませんでした。

仕事復帰後、社会とのつながりはさらに広がっていきました。

患者会への参加。

自身の経験を伝える講演活動。

同じように脳卒中後の生活に悩む人との交流。

そして、発症直後には想像しにくかった挑戦も実現していきます。

それが海外旅行でした。

脳卒中によって失われたものは確かにありました。

それでも、

今できることを整理する。

環境を整える。

周囲と意見交換する。

一つずつ行動を広げる。

その積み重ねが、清水さんの生活を仕事の場だけでなく、社会参加へと広げていきました。

実際に清水さんは、復職後に患者会へ参加し、自身の経験を語る機会を持つようになりました。

かつては支援を受ける立場だった清水さんが、今度は同じような悩みを抱える人を励ます立場になったのです。

さらに、職場復帰によって得られた自信は、新たな挑戦への原動力にもなりました。

「できないこと」ではなく、「どうすればできるか」を考え続けた経験が、その後の社会参加や海外旅行の実現にもつながっていったのでした。

まとめ

脳卒中後の復職は、元通りに働けるかどうかだけで決まるものではありません。

清水さんは、

・左片麻痺
・重度感覚障害
・半側空間無視
・注意障害

という課題を抱えていました。

それでも、

「働きたい」

という気持ちは消えませんでした。

復職に向けて大切だったのは、何ができないかだけを見ることではなく、

今できることを整理し、

職場と共有し、

働く環境を整えていくことでした。

これは入浴や家事を取り戻す過程と共通するものがあります。

生活を元通りに戻すのではなく、今の身体と脳の状態に合わせて再構築していく。

仕事復帰も、その生活の再構築の一つです。

もし脳卒中後の復職に不安がある場合は、主治医やリハビリ職だけでなく、職場の担当者や就労支援機関にも相談してみてください。

元通りではなくても、社会と再びつながる方法が見つかる可能性があります。

次回は、清水さんが実際に挑戦した「海外旅行再開」の実例をご紹介します。