歩いて退院できたのになぜ自宅のお風呂に入れない?脳出血48歳男性を理学療法士が解説

脳出血のあと、リハビリを頑張って歩けるようになり、退院が決まると「これで家でも今まで通り生活できる」と考える方は少なくありません。

しかし実際には、病院ではできていたことが、自宅では難しいことがあります。

特に入浴は、身体機能の回復だけでは超えられない「住宅構造」と「家族の状況」という高いハードルが立ちはだかる場所です。

今回ご紹介する藤田剛士さん(仮名・48歳)も、右片麻痺がありながらもリハビリによって院内を一人で歩けるまでになり、退院を迎えた方でした。

しかし、退院前の家屋訪問で、自宅での入浴をすぐに開始するには大きな課題があることが分かりました。

この記事では、リハビリで歩けるようになったにもかかわらず、なぜ自宅のお風呂に入れなかったのか、実際のケースをもとに理学療法士の視点から解説します。

歩けるようになったのに家のお風呂に入れなかった藤田剛士さん(仮名)

藤田さんは48歳の男性です。

仕事中に突然話せなくなり、右半身の麻痺が出現しました。

救急搬送され、左被殻出血と診断されます。

左被殻出血とは、脳の深い部分で出血が起こる脳出血の一つで、右半身の麻痺や言葉の障害が現れることがあります。

発症当初は、

・右半身の重度片麻痺
・重度の運動性失語(言葉が出ない)
・移動や更衣、トイレ動作などに介助が必要

という状態でした。

しかし回復期リハビリを続ける中で徐々に改善し、装具(麻痺の脚を支える道具)を着けての歩行と、
身の回り動作が可能になっていきました。

退院前には病院内での移動はほぼ自立し、入浴以外の日常生活動作は一人で行える状態まで回復していました。

ところが、自宅へ戻る準備を進める中で、新たな問題が見つかりました。

退院前の家屋訪問で見つかった3つの問題

退院前に理学療法士、作業療法士、看護師、医療ソーシャルワーカーで自宅を訪問しました。

実際に家を確認すると、大きく3つの課題がありました。

玄関の段差

藤田さんは病院内では歩けていました。

しかし自宅の玄関には段差がありました。玄関前の段差は支える介助があれば昇降できる状態でしたが、安全とは言えません。

また靴の着脱も立ったままでは不安定だったため、玄関に椅子を置いて座って行う必要がありました。

また、病院の廊下と違い、自宅には段差や狭い場所が多くあります。

完全バリアフリーの病院内を歩けることと、家の中を安全に移動できることは別の問題でした。

トイレ

トイレにも課題がありました。
便器が低く、手すりもありませんでした。

病院では問題なく立ち座りできていても、自宅では立ち上がる際に大きな努力が必要でした。

ふらつきが出る場面もあり、転倒の危険があります。

そこで補高便座(便器の高さを上げる道具)と天井突っ張り型手すりの設置を提案しました。

浴室

最も大きな問題は浴室でした。

家屋訪問時に確認すると、

・脱衣場所が確保されていない
・浴室入り口に段差がある
・浴室内に椅子や手すりがない
・浴槽またぎ時の介助負担が大きい

という状況でした。

病院ではほぼ自力で入浴ができていても、この自宅浴室環境では、安全な入浴は困難でした。

なぜ片麻痺の入浴は危険になりやすいのか

入浴は日常生活の中でも難易度の高い動作です。
特に片麻痺がある場合は注意が必要です。

浴槽またぎは意外に難しい

浴槽をまたぐ動作では、片脚で体重の多くを支える瞬間があります。

片麻痺があると支えている脚の安定性が低下しやすく、バランスを崩しやすくなります。

また、またぐ動作そのものにも大きな筋力とバランス能力が必要です。

濡れた床は転倒リスクが高い

当たり前のことですが、入浴中、浴室の床は常に濡れています。

少しのふらつきでも転倒につながる可能性があります。特に方向転換や立ち上がりの場面では危険性が高まります。

入浴は溺水リスクもある

転倒だけが問題ではありません。浴槽内でバランスを崩すと溺水につながる可能性があります。

そのため、歩けることだけで「入浴も大丈夫」と判断することはできません。

検討された環境調整と、直面した導入の難しさ

藤田さんの場合、身体機能だけで解決することは難しいと考えました。

そこで退院前に環境調整の可能性を検討しました。

トイレの環境調整

トイレについては、

・補高便座(10cm)
・左前方への天井突っ張り型手すり

の設置による環境調整を行いました。

これにより立ち上がり時の負担軽減が期待できました。

浴室で直面した現実

一方で浴室は、想定以上に難しい状況でした。

当初は、

・壁固定型手すり
・天井突っ張り型手すり
・浴槽手すり(マインバスター)

などの設置を検討しました。

しかし実際に確認すると、浴室の構造上これらの福祉用具は取り付けが不可能でした。

具体的には、天井や壁に十分な強度や下地がなく、手すりの固定が困難であったことに加え、浴槽の縁の形状や強度の問題から浴槽手すり(マインバスター)の設置もできない状況でした。

そこでスタッフは、ひとまずシャワーキャリー(タイヤ付きの浴室イス)を用いた介助入浴の方法を検討しました。

具体的には、

  1. 入口の縁につかまりながら段差を越えてシャワーキャリーへ座る
  2. シャワーキャリーに乗ったまま浴槽へ近づく
  3. 介助者が下肢を浴槽内へ誘導する
  4. 座位で臀部をずらし、そこから立ち上がって浴槽内へ入る

といった手順案です。

しかし、この方法には大きな課題がありました。

文書と口頭では説明できたものの、実際の自宅環境で十分な動作確認を行う時間がなく、さらに主介助者となる奥様の受け入れ準備も十分ではありませんでした。

当時、藤田さんには重度の失語症が残存しており、夫婦間のコミュニケーションにも困難さがありました。

そのため、退院の段階では、検討した介助方法を具体的に導入する段階には至りませんでした。

自宅での入浴は無理に開始せず、今後の生活状況やデイサービスや訪問リハビリなどの外部サービス利用も含めて再検討する方針となりました。

退院後の生活では「能力」に加え、「環境と家族の状況」が大切になることがある

入院時のリハビリでは身体機能・動作能力の改善が注目されがちです。もちろん歩けるようになることは大切です。しかし在宅生活では、それだけでは足りないことがあります。

藤田さんも病院では歩行が自立レベルまで改善していました。それでも自宅では、

・段差
・トイレ
・浴室

が大きな障害になっていました。

さらに今回は、

・浴室に必要な福祉用具が設置できない
・介助者となる家族の受け入れ準備が十分ではない

という問題もありました。

本人がもっと頑張れば解決する問題ではありません。

家屋評価を行い、

・どこが危険なのか
・福祉用具は設置可能なのか
・介助する家族が対応できる状態なのか

を確認することが重要です。

場合によっては、自宅での実施にこだわらず、デイサービスでの入浴など外部サービスを活用する判断も必要になります。

リハビリ職が退院前に家を見に行くのは、そのためです。

まとめ

脳出血後、歩けるようになり、退院できるようになったとしても、それだけで在宅生活が成立するわけではありません。

藤田さんの場合も、自宅の浴室環境には多くの課題がありました。

さらに浴室の構造上、手すりや浴槽手すりなどの設置が難しく、検討された介助方法も家族の受け入れ状況や動作確認の不足から導入には至りませんでした。

その結果、自宅での入浴は今後の課題として残り、デイサービスや訪問リハビリなどの外部サービス利用も含めて再検討することになりました。
訪問リハビリは、入院リハビリと併設していたり同系列の事業所に連携しやすい病院も多いです。選択は自由なので、ソーシャルワーカーやケアマネージャーに相談してみてください。

退院後の生活で困るのは、身体機能だけではありません。もし入浴やトイレ、自宅内の移動に不安がある場合は、主治医や担当療法士、ケアマネジャーへ相談してみてください。

退院後の生活を安全に続けるためには、「何ができるか」だけでなく、「自宅の環境や家族の体制に合っているか」を見極めることが大切です。

【専門職向け補足】

症例概要

48歳男性。左被殻出血による右片麻痺、重度運動性失語を認めた。

回復期リハビリテーションを経て、院内では装具歩行自立レベルまで改善した。

主な問題点

・玄関段差昇降
・トイレ立ち座り
・浴室出入り
・浴槽またぎ
・浴室環境への福祉用具設置困難
・家族の受容面およびコミュニケーションの障壁

主な環境調整

・玄関椅子
・補高便座
・左前方天井突っ張り型手すり
・浴室は壁固定型手すり・天井突っ張り型手すり・浴槽手すり(マインバスター)設置不可
・シャワーキャリーを用いた介助方法を検討したが具体提示は見送り

考察

院内での歩行能力改善のみでは在宅ADLの実用化には不十分であった。

特に浴室は住宅構造上の制約が大きく、天井や壁の強度不足、浴槽形状の問題により必要な福祉用具の設置が困難であった。

さらに主介助者である妻の受容状況やコミュニケーション面の課題もあり、自宅入浴の即時導入は困難と判断された。

身体機能だけでなく、住宅環境や家族システムを含めた総合的な評価が在宅復帰には不可欠であることを示した症例であった。