人工膝関節の手術を受けたあと、
「膝は前より曲がるようになった」
「伸びるようになった」
と言われたのに、なぜか、
歩きにくい。
力が入らない。
長く歩けない。
そんな経験をされた方は少なくありません。
私自身、理学療法士として20年以上、膝の手術後の方と関わってきました。
その中で感じるのは、
手術後の膝の角度と歩きやすさは、必ずしも一致しない
ということです。
今回は実際の症例をもとに、
「膝は良くなったはずなのに歩きにくい」
という悩みについて考えてみたいと思います。
膝は良くなったはずなのに歩きにくい──戸田義男さん(仮名・80代)のケース
戸田義男さん(仮名)は80歳の男性です。
右膝の人工膝関節全置換術(TKA)を受けました。
希望は「うまく歩けるようになりたい」、そして「左膝はできれば手術したくない」というものでした。
人工膝関節の手術を受ける方の多くがそうですが、本当に取り戻したいのは膝の角度ではありません。
買い物に行けること、散歩を楽しめること、自分の足で外出できること、などです。
戸田さんも、そのために手術を選びました。
手術翌日から歩く練習が始まり、1週間後に退院した後も外来リハビリが続きました。(戸田さんは早期退院の方針をとる首都圏の病院で手術を受けました)
術後3週間ほどの時点では、
手術した右膝の腫れや痛みが残り、十分な体重をかけることが難しい状態でした。
そのため、膝や脚の付け根を少し曲げたまま歩く様子が見られていました。

しかし、経過そのものは順調に見えました。手術した右膝の曲がる・伸びる範囲(可動域)は少しずつ改善し、術後半年には0〜122°まで回復していました。数字だけを見ると、一般的には良好な経過と考えられる状態です。
ところが、戸田さん本人の困りごとは別のところにありました。
リハビリ開始から約3か月後には、「手術した右膝で歩き始めると痛い」と話すようになりました。さらに約5か月後には、「今度は反対側の左膝が痛い」と訴えるようになります。手術した右膝は順調に回復しているように見えたにもかかわらず、今度は左膝が気になり始めたのです。
そして約7か月後には、
「左膝の痛みは落ち着いているけれど、手術した右脚に力が入らない感じでうまく歩けない」
と話していました。
膝の曲がる・伸びる範囲は改善している。それなのに本人は歩きにくさを感じている。このズレが、この症例を考えるうえで重要なポイントでした。
実際に歩き方を確認すると、戸田さんは手術した右脚に十分な体重を乗せきれず、反対側の左脚に頼るような歩き方になっていました。その結果、左膝への負担が増え、歩くたびに少しずつ無理が積み重なっていたと考えられます。
さらに詳しく見ると、手術した右脚を十分に使い切れていないことに加えて、
・骨盤が少し左へねじれた状態になっていること、
・脚の付け根(股関節)が後ろへ伸びにくいこと、
・左脚で体重を支える時間が長いこと
などが見られました。
つまり、「手術した右膝が悪い」というより右膝をかばう身体の使い方が残っていた可能性が考えられたのです。
ここで大切なのは、「膝が122°曲がるようになった」ことと、「うまく歩ける」ことは同じではないという点です。
歩くとき、人は膝だけを使っているわけではありません。
骨盤、股関節(脚の付け根)、足首、体幹が協力して体重を支えています。
そのため、手術した膝の状態が改善しても、身体全体の使い方が変わらなければ、「力が入らない感じ」や「歩きにくさ」が残ることがあります。
私自身、この症例を通して改めて考えさせられました。
手術後の診察では、どうしても膝の曲がる角度やレントゲン画像に目が向きます。
しかし、生活の中で本人が困っているのは、「122°曲がるかどうか」ではありません。
玄関から外へ出られるか。
近くのスーパーまで歩けるか。
誰かと一緒に出掛けても付いていけるか。
戸田さんのように、「力が入らない感じでうまく歩けない」と訴える方の中には、膝そのものだけでは説明できない問題が隠れていることがあります。
「歩いている時に、力が入らない感じ」に対して、実際にはどんな練習を行ったのか
戸田さんの場合、膝を曲げたり伸ばしたりする練習だけを行っていたわけではありません。
前述の通り、歩き方を確認すると、
手術した右脚へ十分に体重を乗せられていない
という様子が見られました。
そこでまず取り組んだのは、手術した右脚へ安心して体重を乗せる練習です。
もう歩けるようになっていた方ではありますが、基礎から進めました。
歩行という動作を観察すると、片脚で身体を支える時間があります。
この瞬間の質が、歩行全体を左右するといっても過言ではありません。
しかし、手術後は痛みや腫れ、長年の歩き方の癖などの影響で、手術をした脚へ十分に体重を乗せることが難しくなることがあります。
そのため、「もう一度、歩行を身体に覚えさせる座った姿勢や立った姿勢の中で、右脚へ少しずつ体重を乗せる練習を行いました。
【手術した右脚へ体重を乗せる練習】

次に行ったのは、骨盤の動きを利用した体重移動の練習です。
また、歩くときは脚だけが動いているように見えますが、実際には骨盤もわずかに前後や左右へ動きながら、身体を次の一歩へ運んでいます。
戸田さんの場合、この骨盤の動きが小さくなっていました。そのため、身体を前へ運ぶ力が十分に使えず、歩幅の小ささや歩きにくさにつながっていた可能性がありました。
そこで、座った姿勢から身体を前へ移動させる練習や、骨盤を意識しながら体重を移す練習を行い、身体を支えながら動かす感覚を確認していきました。
【骨盤を利用した体重移動の練習】

さらに、歩行そのものも一度分解して練習しました。
歩行は一つの動作に見えますが、
・体重を乗せる
・身体を支える
・反対側の脚を前へ出す
・次の一歩へ移る
という複数の動作の組み合わせです。
そこで、いきなり歩行全体を繰り返すのではなく、まずは支える練習、次に一歩だけ前へ出す練習、その後に歩行全体へつなげるというように、段階的に進めていきました。
【歩行を部分練習から全体練習へつなげる流れ】

歩きにくさを感じると、「筋力が足りないのではないか」と考えやすいものです。
もちろん筋力は大切です。しかし実際には、筋力だけでなく、「どちらの脚で身体を支えるのか」「どのように体重を移すのか」「身体全体をどう使うのか」といった要素も歩きやすさに大きく関わっています。
戸田さんのケースは、そのことを改めて教えてくれた実例でした。
歩行時の「力が入らない感じ」の正体は筋力低下だけとは限らない
手術して歩いて退院しても、その後よく、
「筋力が落ちたんでしょうか」
「力が入らないんです」
と相談されることがあります。
もちろん、手術後には筋力低下も起こります。
特に大腿四頭筋(太ももの前の筋肉)は弱くなりやすく、術後のリハビリでタオルを膝の下に入れて押しつぶす運動を行うのもそのためです。
ただし、「力が入らない感じ」をすべて筋力低下で説明できるわけではありません。
例えば、椅子から立ち上がるときに床が滑りやすそうだと感じると、筋力があっても思い切り力を出しにくくなります。
歩行でも似たことが起こります。
痛みがあった時期が長かったり、転びそうになった経験があったりすると、身体は無意識に脚に体重をかけることを加減してしまうことがあります。すると、
・体重を十分に乗せられない
・支える時間が短くなる
・反対側へ逃げる
・歩幅が小さくなる
という変化が定着してしまいます。
本人は筋肉や運動不足の問題だと思っていても、実際には身体の使い方や体重移動の問題が関係していることも少なくありません。
さらに、人工膝関節の手術後は、筋肉だけでなく関節や周囲組織から得られる感覚情報にも変化が生じます。
私たちは普段、足の裏から伝わる圧力や関節の位置感覚を頼りに、「今どれくらい体重が乗っているか」「身体が安定しているか」を無意識に判断しています。
ところが、痛みを避ける期間が長かったり、手術による環境の変化があったりすると、その感覚と実際の動きにズレが生じることがあります。
その結果、本当は支えられる状態であっても、
「まだ乗せるのが怖い」
「不安定な気がする」
という感覚が先行し、十分な荷重ができなくなります。
歩行の再獲得を目標とするとき、手術した脚にしっかり体重を乗せること自体が重要なリハビリになります。
なぜなら、荷重することで筋肉が働きやすくなるだけでなく、関節や足裏からの感覚入力が増え、「この脚で支えられる」という身体の学習につながるからです。
筋力を実際の動作で発揮するための土台を作り、感覚と運動を再び結びつけるための重要な過程なのです。
戸田さんのケースも、その一例でした。
膝の可動域は改善していました。
しかし、歩行を確認すると、手術した右脚へ十分に体重を乗せられていませんでした。
反対側の左脚へ頼る時間が長くなり、左膝にも負担がかかっていました。
もしここで、
「筋力が弱いから筋トレを頑張りましょう」
だけで終わっていたらどうだったでしょうか。
もちろん筋力トレーニングは大切です。
しかし、それだけでは歩行の問題は十分に解決できなかった可能性があります。
実際には、
・手術した脚へ体重を乗せる
・骨盤を利用して身体を運ぶ
・歩行を部分練習から組み立てる
という練習を行いながら、歩き方そのものを見直していきました。
人工膝関節の手術後に、「力が入らない感じがする」という場合は、単純な筋力低下だけではなく、
「その筋力を歩行の中で使えているか」
という視点も大切になるのです。
まとめ|「力が入らない感じ」があるときは、歩き方全体を見直すことも大切
人工膝関節の手術後、
「膝は前より曲がるようになった」
「伸びるようになった」
と言われても、
- 歩きにくい
- 長く歩けない
- 手術した脚に力が入らない感じがする
と悩む方は少なくありません。
今回ご紹介した戸田さんも、膝の可動域そのものは順調に改善していました。
しかし実際には、手術した右脚へ十分に体重を乗せられず、歩き方全体に影響が残っていました。
歩行は、膝だけで行う動作ではありません。
骨盤、股関節、足首、体幹、そして身体を支える感覚など、多くの要素が関わっています。
そのため、「力が入らない感じ」がある場合も、単純な筋力低下だけではなく、
- 手術した脚へ体重を乗せられているか
- 身体をうまく前へ運べているか
- 左右の脚をバランスよく使えているか
といった視点から確認することが大切です。
もし、
「膝は良くなったと言われたのに歩きにくい」
「手術した脚に力が入らない感じが続いている」
という場合は、主治医やリハビリ担当者に相談しながら、歩き方そのものを見直してみる価値があるかもしれません。
実際の臨床では、膝の角度だけでは説明できない問題が見つかることもあります。
大切なのは、「もう良くならない」と決めつけないことです。
歩きにくさの背景を丁寧に確認していくことで、新たな改善の糸口が見つかる場合もあります。
膝の手術後に歩きにくさが残っている方にとって、この記事が身体を見直すきっかけになれば幸いです。
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