「腰を壊してなかったら、僕は自分自身に向き合うことはなかったと思います」
そう語るのは、現在32歳の吉田裕作さん(仮名)。
彼は、10代の頃に患った第4腰椎分離症(背骨の疲労骨折が誘因)によって、痛みとともに競技を続ける、という時間を10年以上過ごしてきました。
現在は、IT企業で働きながら高校野球の外部コーチとしてグラウンドに立ち、自分がもがき苦しんでやっとたどり着いた「自分の身体と向き合う姿勢」を、若い選手たちに伝え続けています。
中学時代に発症|痛みとの付き合いが始まった
吉田さんは、千葉県内の強豪校でセンターを任されるほどの選手でした。
小さいことから父の猛特訓を受け、プロ野球選手になる夢しかみることがなかった年月を過ごし、中学時代に第4腰椎分離症を発症。
診断後、患部外(発症の場所以外)のリハビリを受けながら、2〜3ヶ月間の硬性コルセットによる保存療法を受けましたが、毎回の画像検査への期待は裏切られ、吉田さんの骨は癒合することはありませんでした。
吉田さんは、ずっと、慢性的な腰痛を抱えたまま、野球を続けることになったのです。
大学生時代の再燃と、本格的な身体づくり
吉田さんは当初、自分のため以上にお父さんなど、周りの期待に応えるために野球に打ち込んでいました。
大学に進学後も野球を続けていましたが、ある夏、痛みが再燃し、病院で再び診察とリハビリを受けることに。
当時の理学療法士からの評価は、以下の3点でした。
- 腹圧がうまく使えず、腰を反らせる動きが強い
- 胸郭や股関節の可動性が低下しており、腰に負担が集中している
- 体幹の筋力や呼吸の使い方に課題があり、動作全体の見直しが必要
「ただ単に腰の怪我を治すというより、腰の症状を受け入れることから始めました。自分しか自分の体を大事にできない、ということを初めて考えたんです」——吉田さんは当時をそう振り返ります。
社会人野球、そして引退|第二の人生へ
吉田さんは、たとえ代打起用になっても後輩のサポート役になることがあっても、野球をやめませんでした。
大学卒業後は、社会人野球チームに所属しました。
常に腰痛と付き合い、野球に真剣に打ち込むことだけを考えてきました。
そして30歳を前に引退を決意。成績や体の限界が訪れたとき、吉田さんは妙にすがすがしい気持ちになりました。
「怪我を抱えてプレーしてきた経験が、自分を冷静に見つめる技術を与えてくれました。だから、“終わる”って決めた時も、前向きに居れたんです」
その後、IT企業に再就職。一方で、高校野球部の外部コーチとして、後輩たちの育成にも関わるようになります。
身体と向き合った時間が、今の自分をつくっている
吉田さんは今、週末の練習や大会に同行しながら、痛みが出にくい身体の使い方や、継続できるトレーニングについて指導を続けています。
「あのとき、怪我した経験があって自分の痛みに気づいたから、人の痛みがわかるようになったんです」
吉田さんのように、怪我をきっかけに「体の使い方」や「今までの自分との向き合い方」が変わるケースは少なくありません。
痛みを通して築かれた「自分の体と向き合うこと」は、人間の生活にとって最もシンプルで基本的なことなのだと改めてきづかされました。
吉田さんが長年使って厳選した、痛みのためのトレーニング道具の紹介
以下の道具は、それぞれパイオニア的なメーカーです。
長年高齢者からアスリートにまで支持されている理由は、圧倒的な機能性の高さ。
耐久性やクッション性に優れていることにあります。