「親の介護はやりたくない」
このように、わざわざ言ってくる家族にお会いすることがあります。
こういう方の多くは、『親の介護をするのは当たり前』という家族観が根底にあり、
『親を放っておくのはうしろめたい』と、内心は思っているのではないかと思います。
そもそも、迷わず親とは距離を置きたいと考えている方は、積極的には姿を現しません。
家族の同意が必要な時ですら、なかなか連絡が取りにくいこともあります。
そもそも、親子間には、絶対に介護をしなければいけないという法的な強制力はありません(余裕がある場合の扶養義務はあります)。
こういうことくらいは、今時はWEBで調べれば、すぐにわかることです。
ですから、「親の介護はやりたくない」と言う方は、道義的には親の介護はやらなければいけない、とは内心思っている方々なのです。
介護は国全体の規模でストレス要因と思われています。
厚生労働省の国民生活基礎調査(平成25年度)では、介護者の約70%が、介護による悩みやストレスを抱えているという結果を示しました。
自分の家族との生活、仕事、経済的問題、自由な時間、などが奪われる、というイメージです。
佐々木琴美さん(74・仮名)も、親の介護を避けてきたひとりでした。
大学院卒業からずっと同じ製薬会社に勤めてきた琴美さんは、退職した64歳まで、本当に幸せな会社員生活を過ごしてきたと自負しています。
初めて役職に就いたのは、30代半ば。人当たりのよさと丁寧な仕事っぷりは、社内で唯一敵を作らない珍しい人、と評されていました。
一人っ子の琴美さんは、よくこう言われます。
「ご両親に大事にされてきたのねえ」
この、他人による見立ては、概ね、当たっています。
琴美さんは、離婚した両親それぞれからたくさん気にかけてもらってきました。
それでも、琴美さんは40代の時、70代の母から同居を望まれた時に、一緒に住むことはしなかったのです。
仕事を今までと同じペースで続けたかったからでした。
それに、数年前、父が癌のため緩和病棟で亡くなる時に「素人が下手に何かしてもかえって苦しませるだけだ」と実感したという理由もあります。
琴美さんは、同居を断って以来、忙しさのあまり、もう1年以上も母親から連絡が無いことに気づきませんでした。
最初は、へそ曲げてるんだろう、と思って気にも止めなかったし、琴美さん自身も、実は15歳も年上の彼氏が出来て、なにかと新たな課題が生じていた時期でもありました。
いつの間にか3年の月日が経ち、
琴美さんは64歳で定年退職間際になっていました。
業務の引き継ぎを丁寧にこなしていたある日、琴美さんは営業先の目黒で偶然、母をみかけたのです。
場所はなんと、美空ひばりさんの生前のご自宅『美空ひばり記念館』の前でした。
『美空ひばり記念館』は当時、3人の付人の方々が来訪者を案内しお茶を出してもてなす、ということを続けてこられたことで有名な観光スポットです。
そこに、なぜか母が、見たことのないカラフルな服装で、左右に3人の女性を従えて談笑しながら入館していったではないですか。
しかも、車椅子で・・・!
人違いだろうか?そもそも、一緒に居た人も見たことないし、車椅子に乗るほどの怪我?病気?をしていたらさすがに連絡がくるはずだが。
琴美さんは困惑しました。
母と一緒に居たのは、琴美さんにとって面識のない3人でした。
まるで、美空ひばりさんの3人の付人さながら、母と思われる人に献身的に寄り添っていました。
『美空ひばり記念館』の一件から10年。
琴美さんとお母様の身の上に起きたことの詳細に関して、筆者はほとんど知ることが出来ません。
ただ、多額の遺産相続問題に発展したらしい、ということ以外は——―
順を追って説明すると、
筆者が現在74歳になった琴美さんとお会いするより前に関わったのは、琴美さんの母・佐々木ミツさん(103・仮名)のほうでした。
超高齢で寝たきり、下半身の関節が大きく変形して身動きが取れないミツさんに対して、訪問リハビリテーションの依頼が来たのです。
佐々木ミツさんは、東京都港区内の、先代から住んでいた土地と家を〇億円で売り、そばのマンションに移り住んだばかりでした。
当初から、ミツさんの主介護者は、娘の琴美さんではなく『後見人Aさん』となっていました。
その他、ミツさんのマンションには住み込みでBさんとCさんがおり、身の回りのお世話をしている、という設定でした。
介護保険サービス担当者達が琴美さんの存在を知ったのはだいぶ後のことです。
佐々木ミツさんの周りで、それぞれ後見人・ヘルパーとして居た、AさんとBさんとCさん。
この3名はまさに、琴美さんが『美空ひばり記念館』で見かけたお三方でした。
彼女たちは同じ信仰を持ち、ミツさんの近所のアパートに住んでいて、茶飲み友達から仲を深め、ミツさんが80歳を超えてから後見人を任され、ミツさんがベッドから落ちて車椅子生活になり、徐々に認知症が進んだ経緯も、すべて見てきました。
AさんBさんCさんは、口を揃えてこう仰います。
「私達が、子供や親戚に見放されたミツさんの身の回りの世話をずっとやってきた」
今年で104歳になるミツさんの口癖は、
「明日は仕事だから朝早くでなきゃいけないの」。
そう、佐々木ミツさんは現在、重度の認知症になっています。
後見人Aさん主導で、介護費用・生活費の管理をされ、死後の不動産処理も含めて任されている弁護士が、遺書を預かっている状況です。
ちなみに、Aさんから聞いた話では、遺産は、Aさん・Bさん・Cさんへ手厚く贈られる、という内容だということです。
もちろん娘の琴美さんは、ミツさんの死後に、遺産分割に関して裁判所へ手続きすることは可能ではありますが、
琴美さんが今となって辛い思いをしている理由はそこにあるわけではありません。
元々、琴美さんも不動産や蓄えが充分在り、お金に困っているわけではないのです。
琴美さんは、自分も歳を取ってやっと、母親と一緒に居たい、最期を見送りたい、と思うようになりました。
小さい頃連れて行ったもらった場所へ、今度は自分が連れて行ってあげたりもしたかった……
しかし、今では認知症となった母が琴美さんの顔を見ていう言葉は、これだけです。
「あなた、誰? 知らない人ね」
在宅訪問サービスにたずさわっていると、
戦前後から移住してきてずっと住んでいた自宅が多額の財産に変わり、
当事者たちが想像もしていなかった財産・遺産問題が生じる場面を目の当たりにすることがあります。
その際、不動産の管理・処理、法的な手続き、契約書の盲点など、普通の素人にはどうしてもカバーできない案件があったりもするようです。
当事者間でもめごとが大きくなり、複雑な話し合いをしなければいけない場合は弁護士を頼ることになるかもしれませんが、それでは多額の費用も時間もかかった上、結局思い通りにならなかった、なんてことになりかねません。
最初から司法書士などの専門家へこまめに相談できる環境を作っていれば、琴美さんのように対応が後手になり、悲しい思いをせずにすむのではないかと思います——―
筆者が知っている中で、一番信頼できると感じたものを載せておきます。
家族信託のおやとこ