脳出血のあと、「もう家事はできないかもしれない」と不安になる方は少なくありません。
特に運動麻痺(脳の障害によって身体が動きにくくなること)が残ると、洗濯、食器洗い、衣類の管理など、これまで当たり前に行っていたことが難しく感じられます。
一方で、家事や身の回りのことができるかどうかは、麻痺の有無だけで決まるものではありません。環境を整えたり、やり方を工夫したりすることで、再びできるようになることもあります。
今回ご紹介する藤田剛士さん(仮名・48歳)は、左被殻出血によって右半身に麻痺が残った方です。
発症当初は多くの介助が必要な状態でしたが、発症から退院するまでの約半年のリハビリを経て、片手でできる動作を少しずつ増やしていきました。
この記事では、在宅復帰前に実施した生活動作の評価をもとに、片麻痺や注意の障害があっても安全に家事を再開するための工夫と注意点についてご紹介します。
藤田さんの発症から退院までの経過
藤田さんは48歳の男性です。
仕事中に突然言葉が出なくなり、右半身の麻痺が出現しました。病院へ救急搬送され、左被殻出血(脳の左側にある被殻という部分の血管が破れて出血すること)と診断を受けます。
急遽、血腫(出血によって固まった血の塊)を取り除く手術が行われました。
発症当初の藤田さんは、重度の右片麻痺(右半身が自分の意思では動かせない状態)、重度の運動性失語(相手の話は理解できても、自分が言いたい言葉をうまく話せない障害)のため、日常生活の多くに介助が必要な状態でした。
リハビリを継続する中で、身体機能は大きく改善し、短下肢装具(麻痺のある足を固定して歩きやすくする器具)を着用すれば、病院内を介助なしで歩けるまでになりました。
入院前は、妻と家事を分担しながら生活しており、自身も買い物や洗濯、食器洗いなどを積極的に担っていました。
そのため退院後の在宅生活を見据え、どのような環境や支援があれば安全に家事の役割を再開できるかを確認する評価が行われました。
見落とされやすい脳の後遺症(高次脳機能障害)
藤田さんのように、歩行や身の回りの動作が見かけ上は一人でできるようになっていても、脳の損傷による高次脳機能障害(記憶、注意、計画性など脳の高度な認知機能の障害)が生活に影響を与えることがあります。
藤田さんの場合は左脳の出血であったため、言葉の障害だけでなく、高次脳機能障害が出現する可能性もありました。高次脳機能障害とは、記憶や注意、判断、計画などの認知機能に影響が生じる状態です。
例えば、以下のような症状がみられることがあります。
- 注意障害:
ひとつのことに集中し続けたり、周囲の状況に同時に気を配ったりすることが難しくなる状態。 - 遂行機能障害:
物事の手順を計画し、要領よく進めることが難しくなる状態。
時に、家事の最中に上手くできないことがあると、混乱して拒否する様子も見られました。
そのため、単に片手で作業する練習をするだけでなく、脳の負担を減らすための環境設定や、周囲の関わり方の工夫が不可欠だったのです。
片手でも安全に家事を行うための工夫
藤田さんが実際に行った工夫や、安全に進めるためにリハビリスタッフが徹底していたポイントは以下の通りです。
服の出し入れ:収納する高さを変える
自分の服をタンスから出し入れする動作を確認しました。
腰より高い位置にある2段目以降の引き出しであれば、片手でも安全に服を取り出すことができました。また、片手でハンガーに衣類を掛けることも可能でした。
ただし、床に近い1段目の引き出しは、身体を大きくかがめる必要があり、バランスを崩して転倒する危険があります。
そのため、よく使う衣類は2段目以上に集約し、動作の工程をシンプル(使う道具や手順をできるだけ少なくすること)にする工夫が有効でした。
洗濯物たたみ:テーブルを広く使う
洗濯物をたたむ動作も、姿勢の安定と手順の簡素化がカギとなりました。
立ったままたたもうとすると姿勢が不安定になり、片手で衣類を広げるのも難しくなります。しかし、テーブルの上を作業台として利用することで、片手で衣類を軽く押さえながらスムーズにたたむことが可能になりました。
洗濯物干し:移動の距離を短くする
洗濯物干しについては、置き型の物干しやハンガーを使用する際、あらかじめ服を載せておく台を用意しました。
また、洗濯かごを干す場所のすぐ左側に配置することで、移動の動線(人が動く経路のこと)と手順を最小限に減らし、注意が散漫にならないよう配慮しました。
食器洗い:道具を置いて固定する
洗い桶の中に水と洗剤を入れ、その中で食器を固定しながらスポンジで洗う方法をとりました。
洗った後の食器を拭く際も、あらかじめ机に敷いておいたタオルの上に食器を置くことで、片手でも安全かつ迷わずに拭くことが可能でした。
使う道具や手順をできるだけ少なくすることが、遂行機能の低下を補うポイントになる可能性があります。
集中を妨げない正しい見守り方
高次脳機能の障害がある方が家事を行うときには、周囲の適切なサポートが重要になります。
藤田さんの場合は、各職種共通して以下の関わり方を徹底していました。
家事の最中は話しかけない
注意障害があるため、作業中に声をかけられると意識が分散し、手元がおろそかになってケガや転倒のリスクが高まります。
作業に集中できるよう静かな環境を整え、本人のペースを遮らずに見守りに徹することが大切です。
手本を実際に見せて伝える
失語症や手順の混乱があるため、言葉であれこれ指示を出すと、余計に混乱してストレスや拒否感につながりやすくなります。
もしやり方を修正したいときは、言葉での説明を最小限にし、隣で実際に動作をやってみせることで、本人が目で見て理解しやすくなることがあります。
「物を持ちながら歩く」ときの制限
病院内では何も持たずに一人で歩くことができていた藤田さんですが、物を持ちながら歩くとなると話は別でした。
コップや軽い荷物であれば片手で持って運ぶことができましたが、重い荷物や不安定なものになると、歩行のバランスを崩しやすくなります。
片麻痺がある場合、万が一バランスを崩したときにとっさに壁や手すりをつかむことが難しいため、大きな転倒につながるリスクがあります。
特に家事の最中は、注意が手元の荷物に向いてしまい、足元の注意がおろそかになりがちです。
そのため、重い鍋の移動や、大量の洗濯物の一括運搬などについては無理をせず、家族が手伝うか、ワゴンなどの補助具を使うといった対策をとる必要があります。
まとめ:脳と身体の特性に合わせる
発症後、「歩けるようになること」が目立ちやすい目標かもしれませんが、実際の暮らしは、服をしまう、洗濯をする、食器を洗うといった日常動作の積み重ねでできています。
藤田さんの実例が示すように、右手が使えなくなっても、また注意や計画性の障害があっても、以下の3つの原則を意識することで、安全に役割を再獲得できます。
- 使う道具や手順をできるだけ少なく、シンプルにする。
- 作業に集中できるよう、静かな環境を整えて本人のペースを遮らない。
- できないやり方を言葉で責めず、行いやすい方法を実際に見せて伝える。
以前と全く同じ方法で行う必要はありません。
大切なのは、今の身体と脳の特性に合わせて、どうすれば安全に心地よく行えるか、という視点です。
もし退院後の生活や家事の再開に不安がある場合は、担当の療法士(作業療法士、言語聴覚士、理学療法士)に相談してみてください。
環境や周囲の関わり方を少し見直すだけで、一人で安全にできることがきっと増えていきます。
専門職向け補足
48歳男性。左被殻出血による右片麻痺、重度運動性失語、および軽度の注意障害・遂行機能障害を認める。
発症後、緊急開頭血腫除去術を施行。回復期リハビリテーションを経て、院内での短下肢装具を用いた独歩は自立レベル。
退院後の在宅・施設生活を見据え、生活環境適応評価を実施した。
・衣類管理:2段目以降の引き出し、ハンガー掛けは自立。1段目は前方制動困難のため制限。工程を単純化。
・洗濯物たたみ:机上作業にて片手での押さえ動作を代償。
・洗濯物干し:左側へのかご配置、服を載せる台の設置により動線と手順を最小限に設定。
・食器洗い:洗い桶を用いた浸漬・固定洗浄、机上タオルでの拭き取りにて工程を簡素化。
・調理:動作困難時等に混乱・拒否がみられたため、入院中は評価を中断。
・物品運搬:軽度物品は可能だが、重量物は二重課題(歩行+運搬)による注意分散とバランス低下を招くため制限。
ADL自体は自立レベルにあるものの、非定型的・多段階的な家事動作においては、手順の混乱(遂行機能障害)や、同時処理の困難さ(注意障害)から混乱や拒否を来しやすい。
そのため、環境設定においてはタスクのミニマム化(道具・手順の削減)を図り、実施中は言語的介入を避けて静的な環境を保持することが必要であった。
また、エラーに対する修正指示は、言語的なフィードバックよりも視覚的なモデリングが有効であり、対象者の心理的負担を軽減させつつ実用性を高める鍵となった。
4ユニークSTEPs